2013年10月20日日曜日

組田幸一郎先生の講演会に参加して

この度、組田幸一郎先生の講演会に参加する機会がありました。これまで2回チャンスがあったのですが、どれも参加することができず、今回ようやく参加できたことをとても嬉しく思うと同時に、このような機会を提供してくださっている柳瀬先生、はるばる講演に来て下さった組田先生に感謝の念でいっぱいです。特に、来年度から現場に出ていく身である私にとってはとても貴重な2時間でした。(この講演に関する柳瀬先生のブログ記事はこちらから。)


これまで学部、博士課程前期を通して「英語教育」のことについて勉強してきた私にとって「英語教師の仕事=英語の授業」という方程式がある意味思考の根幹を成しており、英語を学習者に理解「させる」ことが最終目標になりがちであったと思います。確かに、この方程式は正しいのだと思いますが、これがすべてではないのだということを今回の講演を拝聴して再認識した次第です。

組田先生が講演の中で仰っていた通り、英語教師の仕事は英語の授業だけではありません。

英語の授業に関するセミナーやワークショップは数多く行われており、参加しようとする意志さえあればそれに参加し、実践を見て、自ら研鑽を積むことができます。しかし、そちらにばかり重心が置かれると、「教師」としてのバランスが崩れてしまう可能性があることを同時に認識しておくべきであると思います。(決してセミナーなどを軽視してもよいという意図はありません。むしろ私は逆の立場です。)

この英語授業に対する熱の最終到達点として、現在は「進路実績」を上げることがメインになっており、偏差値や国立大学合格率などで学校がランク付けられる時代でもあります。進路実績は確かに成果の表わし方の一つではあります。しかし、これもその全てではありません。それにもかかわらず、この進路実績という成果に固執し、「ランク」という外部評価に目が行きがちです。だからこそ、上述のセミナーなどに比重が大きく置かれ、バランスを崩してしまうのかもしれません。

この外部評価に重心が傾くことは、本来の教育の目的から乖離して行ってしまう要因のひとつであるように思えます。外部評価だけでなく、「内部評価」を行うためには、教師それぞれに自身の哲学が必要だと組田先生は仰います。本当にその通りだなぁと思うと同時に、自分はこの哲学を持っているだろうかと問いました。「どのような英語教師になりたいのか。」

まだ本格的に現場に出る前の若輩者の哲学ですが、「社会に出た際、自らの力で生きていくことのできる人間、つまり、自ら考え、行動し、責任を持つことのできる人間を育てる」ことが私にとっての教育であり、私の理念です。その成長をサポートするために教師として、また英語教師として何が出来得るかを常に模索していく必要があると思っています。一所に留まって、安定に甘んじることなく、常に生徒と共に成長していく教師でありたいと願っています。


今回組田先生のお話を伺っている中で、大学院で受けた授業の内容を想起しましたので、Pennycook(2001)のCritical Applied Linguistics: a critical introductionから一節引用しておきたいと思います。
...a critical component of critical work is always turning a skeptical eye toward assumptions, ideas that have become "naturalized," notions that are no longer questioned. (p.7)
当たり前になっていることに疑問の目を向け、思考することが大切です。盲目的に何もかもを鵜呑みにする教師にならないように、周りがやっているからこれでいいんだという思考回路の教師にならないように、自戒を込めて。

拙文でした。

Amazon: Pennycook, A. Critical Applied Linguistics: a critical introduction

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