2012年11月21日水曜日

三浦孝、中嶋洋一、池岡慎著『ヒューマンな英語授業がしたい!―かかわる、つながるコミュニケーション活動をデザインする―』

『ヒューマンな英語授業がしたい!―かかわる、つながるコミュニケーション活動をデザインする―』は2006年に三浦孝、中嶋洋一、池岡慎先生が共著されたもので、以前から読もう読もうと思っていたものです。ようやく読み始めることができました。一旦読み始めると面白くて次々にページをめくって読んでいました。

前回の記事になぞらえて言うなら、この本は「『コミュニケーション活動』、その前に…」ということになるでしょうか。授業でコミュニケーション活動をさせる前に必ず読んでおきたい本です。


コミュニケーションとは一体何なのか。このことを考え出すと答えは出ないでしょうが、ある程度の全体像を掴んでおくことは必要なことであると感じます。私たちは日常でどのようにコミュニケーションを取っているのでしょうか。どのような目的で、どのような手段で、どのような感覚でコミュニケーションしているのでしょうか。このことを考えることで、少しずつコミュニケーションの実態が(感覚的に)明らかになると感じました。

L1でのコミュニケーションには、「伝えたい内容」と、「このことを誰かに伝えたい!」という思いが必ずあります。ここからコミュニケーションが始まります。しかし、学校におけるL2コミュニケーション活動ではどうでしょうか?伝える内容はあっても、この内容は周知の事実であるために伝える動機がない、むしろ、その伝える内容自体が“意味”のないものだったりしないでしょうか。

このこと以前に、コミュニケーションをする相手との人間関係はとても重要であるように感じます。コミュニケーションが成立するには前提として、「安心して」会話ができる環境が必要です。日常生活でもそうですよね。ではL2教室環境ではどうでしょうか。ペアやグループを適当に作ってはいないでしょうか。それではコミュニケーションを取ろうとしない学習者や、コミュニケーションが破たんしてしまう事例がいくつも出てきてしまうのは容易に想像ができます。


よく何も考えずに、「さぁ、今からペアで話し合ってごらん」であったり、「ゲームをするからグループを作ってできたところから席に座ろう」などと言ってコミュニケーション活動を授業で行おうとしてしまったり、そういった授業を私自身も経験してきました。しかし、こういった“何も考えていない”、“無神経な”教師の言葉が学習者のコミュニケーションを取ろうとする意欲を削ぎ落とし、学習から遠ざけてしまう。学習者が「英語を使って話がしたい!」、「英語でこんなに話せるよ!」という感覚を得るために、教師はどのようなサポートができるのか。そのためのヒントがたくさん、本当にたくさん詰め込まれた一冊でした。またじっくり読み直したいです。


『ヒューマンな英語授業がしたい!―かかわる、つながるコミュニケーション活動をデザインする―』

2012年11月5日月曜日

第5回山口県英語教育フォーラム

2012年11月3日(土・祝)、山口市で行われた第5回山口県英語教育フォーラム「『英語教育改革』その前に・・・」に参加させていただきました。長沼先生、山岡先生、奥住先生のご講演を拝聴させていただき、とても良い刺激を受け、充実した一日になりました。拝聴させていただいたことと、拝聴させていただいて考えたことを僭越ながらまとめておきたいと思います。まだまだ甘い思考ですがご容赦ください。



まずは長沼君主先生の「『Can-Doリストの使用』、その前に・・・。」

「国際共通語としての英語力向上のための5つの提言と具体的施策」が平成23年7月に示され、そのうちの提言1である「生徒に求められる英語力について、その達成状況を把握・検証する」の部分では、その具体的施策として「中・高等学校は、学習到達目標を「CAN-DOリスト」の形で設定・公表するとともに、その達成状況を把握する」ことが挙げられています。これを受けて現在、CEFR-J(日本版のCEFR: Common European Framework of Reference for Languages)が公開されており、また、各中・高等学校において学校独自のCAN-DOリストを作成されてきています。

今回のご講演では、CAN-DOリストを作成する以前の理念的側面を中心にお話しされていたと思います。CEFRやCEFR-Jなどの共通参照枠はあくまで「参照枠」であり、決して「スタンダード」ではないということを今回は理解しました。スタンダードになってしまうと地域の実態、また目の前にいる子どもたちに合わない、また理想だけが先行してしまう危険性があるということから、CAN-DOリストは、地域の実態を踏まえてボトムアップ的に作成されること、また、小中高一貫して作成されることが大切であり、「なぜ国がトップダウン的に作らないのか?」という疑問が少し解消されました。

CAN-DOの理念的なことは少しずつ理解してきている(ような気がします)が、では実際にどうやってCAN-DOリストを作成していけばいいのか、その部分をもっと聞きたくなりました。ご講演の中でワークショップ形式であればもっと具体的にされているとのことだったので、機会があれば是非参加させて頂きたいです。また、講演中に紹介してくださったCAN-DOリストのサンプル等を見ながら、どのようなCAN-DOが作れるのかを考えてみることが大切なんだろうなぁと感じました。

実際にCAN-DOリストを作成した後にも、その使用に注意が必要であることを学びました。CAN-DOリストは、その使い方を間違えるとCANNOT-DOリストになってしまい、学習者をdemotivateさせる要因になる懸念があるということです。学習者に「できた感」を感じる機会になるようCAN-DOリストを活用し、うまく学習者を動機づけ、自律学習へと導く手立てになるよう配慮が必要です。

深く考えなければならないことは、このCAN-DOリストもしくはCEFRの考え方が形骸化して日本に持ち込まれているのではないかという点です。上記の自律学習促進の側面や、CEFRのヨーロッパにおける本来の目的などを知らず、ただ単にCAN-DOリストだけを取り入れてしまうと、結局「あぁうまくいかなかったね」といった結果になるように思うのです。だからこうした理念的な理解というのは必要だと感じますし、分かった上で活用していきたいと思っています。(ただ理念的な理解もまだまだ必要ですし、それを具体レベルにまでどのように落とし込んでいくのか、さらに勉強が必要だと思いますが・・・。)

CEFRに関して、アルクのページで簡潔にまとめられています。





次に、山岡憲史先生の「『英語の授業は英語で』、その前に・・・」

来年度から完全実施になる新高等学校学習指導要領では、原則として英語の授業は英語で行うことと記されています。この背景の一つとして「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」が挙げられます。中・高等学校を卒業すれば英語が『使える』人材を育成しようという行動計画です。

これまで日本では文法訳読式教授法が主流で、学習者が英文を日本語訳し、教師がそれを直していく、この繰り返しで授業を行ってきました。しかし、これでは英語を「使える」までには至らなかったというのが現状です(これには少し疑問がありますが・・・)。文法訳読式の詰め込み型教育から大きく振り子が振れ、コミュニケーションを授業の中心として、コミュニケーションしながら英語を学習させるCommunicative Language Teaching(CLT)へと移行していきました。その流れの一つで英語の授業は英語でとなってきたと理解しています(間違っていたら訂正してください)。

ご講演の中で英語の授業を英語で行うことの利点やその方法などをお聴きしました。英語の授業を英語で行うことによって様々な良い効果が得られることが分かりました。しかしどうしても「英語がわからない」「英語がそもそも嫌い」な学習者に対して英語の授業を英語で行うことの意義が見出せませんでした。最初は英語が分からない学習者も徐々に慣れてきて、最終的には英語で英語を理解するようになる。これができれば一番いいのだろうと思いますが、やはり英語が嫌いな学習者にはただ苦痛でしかないように思うのです。徐々に慣れてくるというのはあまりに無責任なような気がしてしまいます。そのためには徐々に慣れて行くための手立て、もしくは仕掛けが必要でしょうし、先生もご講演の中で学習者の既習事項を把握し活用していくことの重要性には言及されておられました。

来年度から施行ということで、その施行の前に、今一度、英語の授業を英語で行う意義は何なのか、目的は何なのか、そのためにどのような工夫が必要なのか、考える必要があることに気付かせていただけました。




最後に、奥住桂先生の「『自己表現』、その前に・・・。」

『自己表現』をやっていれば『自己表現』する力は本当に伸びるのでしょうか。奥住先生がこの疑問をご講演の最初の方に提示され、私はこれまで無批判的に「自己表現=良いこと」と捉えていたことに気付きました。なぜ自己表現活動をするのでしょうか。自己表現活動にはどのような効果があるのでしょうか。このようなことを考えないまま自己表現をさせてしまうと「書けない」「書きたくない」の負の連鎖になってしまうだろうことは容易に想像できます。

自己表現にまで至らせる以前に、そのための基礎づくりが大切であるということは理解していながらもそのステップをすっ飛ばしてしまうということはWritingにおいてはよく見られます。なぜなんでしょうね。ListeningやSpeaking、Readingは事前に単語の意味や発音をチェックしたり、繰り返し音読してみたり、さまざまな事前準備を行うのに、Writingになると急に「さぁ書け~」になってしまう。中学校では「自己表現」という名の“自由な”Writingをさせながら高等学校に上がると和文英訳や書換え問題など「自己表現」とは程遠いWritingをさせる傾向にあります。これは逆ではないでしょうか、というのが先生の問いかけでした。最初子どもにチャンバラばかりさせておいて、しばらくしてから素振りという基礎練習ばかりさせることと同じだというメタファーでした。本当にそうですよね。

closedで単語・句レベルのWritingから徐々にopenで文・段落レベルのWritingへとバランスのとれたWritingを行うためにはまず自分が書かせているタスクのバランスを考えることが大切だと仰っていました。その際、先生が行ってきた様々な実践を紹介してくださり、「そんな方法もあるんだぁ」と率直に感じていました。

中学校のWritingで学習者に身に付けてほしいのは、書く内容といったソフトな部分の質よりもまずはWritingの中核になる文法や語法のハードな部分の質であり、そのためには基礎的な訓練は必要不可欠。その部分を充実させた上で「自己表現」へと移していきたいです。





お三方の講演を拝聴させていただいて、本当に良い刺激になりました。まだまだ勉強不足を痛感した一日でしたが、同時にとても充実した一日でした。