今回読み進める中で、私が印象に残った部分を少しだけ。
「I. 基礎編」では「学習英文法」をどのように捉えたらよいのか、大津先生のとても簡潔かつ明快にまとめられているように感じました。「学習(英)文法」という言葉は、様々な人が様々な意味で用いてきたため、人によってその言葉の指す内容が異なったりする用語です。私自身、修士論文のために先行研究をまとめようと思っても、なかなか上手くまとめることができませんでした(単なる私の勉強不足ではありますが…)。本書では、「学習英文法」は第一義的に「学習者のための英文法(p.4)」を意味します。(第二義的には教師のための英文法を指すこともあります。)
近年の英語教育界では、“悪しき”「文法訳読式」授業法から“善き”「コミュニカティブアプローチ」へと大きく振り子が振れ、その流れの中で「英文法」は毛嫌いされることが多いように思えます。本書でも議論がありましたが、「《英語を使う際に、学んだ英文法にこだわりすぎて、文法的間違いを犯さないよう慎重になりすぎるがゆえに、日本人は英語が使えるようにならないのだ》(p.2)」ということが直接、「英文法はいらない」という議論にはならないと私も思います。
また、江利川先生が英語教育史における英文法の取扱いの変遷を取り上げていらっしゃって、とても面白く拝読しました。特に面白かったのが、明治時代の中学校教授要目と新学習指導要領の文法の取扱いに関する基本方針には、「実際に使えるように」配慮するという点で、あまり相違がないということです。新学習指導要領にも文法はコミュニケーションを支えるものと捉えるよう、解説に書かれていたと記憶しています。一つの視点から教育史を遡るのも色んな示唆をくれるのだなと感じました。
もう一つ、文法を足場や補助線として捉えるという観点を得ました。文法は、学習して英語を実際に使用できるようになるための「基礎」であって、学習の最終目的地にしてしまってはいけないと感じます。私は、「文法よりコミュニケーションを」という流れは、「バスケットボールの基礎練習よりもすぐに5on5(試合形式)を」と言っていることとほぼ同義のように考えます。文法を足場として、いずれはそれを取り外して歩いて行けるようにすることが必要ではないでしょうか。
文法を学習して終了ではないのです。学習した文法を用いて、英文を分析し理解する、自ら文を組み立てるための土台として活用していく必要があります。その土台を作るために文法はどうあるべきなのか、もう少し自分で考えてみようと思います。
この他にもたくさんの興味深い議論が収録されていました。私自身の修士論文に関わってくる内容でしたので、とても参考になりました。
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