2013年1月25日金曜日

大津由紀雄先生 中締め講義―言語教育編― まとめその2

中締め講義―言語教育編―から早2週間。明日には―認知科学編―がありますね。その前に言語教育編のまとめは終わらせておかなければ。(残念ながら認知科学編には参加できませんが…。)


前回の記事では、大津先生の言語教育に関する考えを(稚拙な文章ながら)まとめさせてもらいました。今回は、指定討論者としてご講演頂いた(、そして大津言語教育論を斬った)松井先生、亘理先生、柳瀬先生の議論について考えたことをまとめておこうと思います。



まず、松井先生の議論。大津言語教育論における「ことばへの気づき(language awareness)」とは、一般的に言われているawarenessやnoticingとどのように異なるのか。どこまで「気づく」べきなのか。

awarenessやnoticingは(私にとって)曖昧で良くわからない概念です。Schmidt(1990)の気づき仮説(Noticing Hypothesis)では、気づきにもいくつかの段階があったように記憶しています。この仮説ではただインプットが取り込まれるにはそれに気づかなければならないと主張されていますが、大津言語教育論は、これにどのように気づくかを示して下さっているように思います。

大津先生の仰る「ことばへの気づき」というのは、「あぁ、そうか!」と学習者が言った瞬間に起きているのでしょう。私が勉強している認知言語学の立場から申しますと、この「ことばへの気づき」が生じるのは、学習者がすでに持っている言語に関するスキーマに、拡張事例による揺さぶりを書けたときであるように思います。前回の記事で言えば、「NP+たち=NPが複数存在する」というのがスキーマに当たり、「桃太郎たちは」というのが拡張事例に当たると考えています。学習者が「桃太郎たち」という拡張事例に出くわしたとき、「NP+たち」という表現は必ずしも「桃太郎が複数いる」ことは意味しないということを『経験的に』理解するのでしょう。気づくためには、学習者に与えるインプット(ここでは拡張事例)を適切に選択しなければなりません。

では、どこまで学習者は気づくべきなのでしょうか。これにはなかなか答えが出ないように思います。文法語彙項目によっても異なるでしょうし、拡張事例の選出方法も適宜変えていかなければならないと思います。ここ辺りは最終的には現場で勘を磨く外ないのでしょうか。




次に、亘理先生の議論。(議論の前に、亘理先生のスライドがとてもきれいにまとめられていて感動しました。)目的論レベルで英語教師と合致していないこと、言語の普遍性を理解することのメリット、「ことばへの気づき」とは結局何なのか。

特に目的論レベルでの不一致が気になりました。英語教育の目的とは果たして…。何のために英語を教えるのでしょうか。グローバル社会だから?なぜグローバル社会であれば英語が必要になるのか?社会の要請?などなど様々な疑問が浮かんできます。このようなことを少なくとも一度はきちんと考えておきたいと個人的には感じます。現段階で私は答えが出せていませんし、これから先まだまだ考えていかなければならない課題だと思います。そうでなければ、形骸化して英語を教えるようになってしまうような気も…。

言語の普遍性を理解することに関しては、まず理解すべきは教師側だと個人的には思います。私たちにとってL1は日本語であり、L2が英語であるという人が多いと思いますが、L1とL2を全く別のものであると捉えることもできるだろうし、共通の基盤があることも確かであろうと思います。ここでの共通の基盤とは何ぞやというのが疑問として浮上してくるでしょうが、この点に関しては認知言語学がかなりの部分を明らかにしてきているのではないでしょうか。Langackerのネットワーク理論、Lakoff and Johnsonの概念メタファー理論などなど、一度触れてみても面白いと思います。共通の基盤があると捉えていると、L1の知識を援用しやすいのではないでしょうか。




最後に、柳瀬先生の議論。大津言語教育論における身体性について指摘されていました。

身体論といえば、言語教育とは何ら関係ないと考える方も多くいらっしゃると思いますが、私個人としては、身体で経験したことが言語表現の基になっていることは認知言語学で明らかにされてきています(特に概念メタファー理論の領域)。このことを踏まえ、大津先生の仰る「ことばへの気づき」には「あぁ、そうか!」と気づいた瞬間の高まるような感情、もしくは情動が身体的な経験として言語表現と結びつけられるのではないでしょうか。その点で言えば、大津言語教育論にも身体性の観点はあるということが言えるかもしれません。身体性の観点から大津言語教育論を再考していくことも面白いのかなとも感じました。




最後のシンポジウムに関しては、私は新幹線の都合で途中退室させていただいたので言及は避けようと思いますが、途中までとても興味深く拝聴しました。この中締め講義に参加させて頂いて、自分の中でいろいろ『気づいた』こともありますし、また問題点も少し垣間見えた気がします。これを考えるきっかけとしていきたいと思います。


拙文失礼いたしました。

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